2022年12月01日
利根中央病院
精神・神経科医師
藤平 和吉
新型コロナウイルス感染症が日々の話題になってから間もなく丸3年になります。2020年初頭から始まった世界的なこの騒動は、おそらく未来の歴史の教科書に載る程の、大きな出来事なのだろうと思います。コロナ禍は、私たちの身体だけでなく、こころにも大きな影響を与えています。今回はそうした話題を取り上げてみたいと思います。
人それぞれの受け止め方
家族で外食に行けなくなった、友達と気軽におしゃべり出来なくなった、会社の業績悪化で給料が減った……。新型コロナウイルス感染症によるマイナスの影響は計り知れません。これまでの“当たり前”がそうでなくなった現実に、多くの人が戸惑いました。一方で、リモート業務のお陰で通勤負担が減った、冠婚葬祭の出費が少なくなった、煩わしい人間関係から解放された……など一部にはプラスの変化を感じた方もいらっしゃるかもしれません。世の中全体がステイホームの時期には、不登校気味だった子どもたちに元気が戻ったことも興味深い現象でした。
改めて、ものごとには長所と短所の両面があり、自分が置かれた状況によって、評価が大きく変化することを痛感させられます。新型コロナウイルス感染症の影響を、単純に良し悪しで判断するのは難しいようです。
「こころの健康」への影響
とはいえ、こころの健康という観点から見ると、マイナスの側面は無視することができません。その最たるもののひとつが、日本における自殺者数の増加です。2020年までは順調に減少していた自殺既遂者数が、2021年には増加に転じました。この背景のすべてが新型コロナウイルス感染症とは言い切れないものの、多くの専門家がコロナ禍との関連を指摘しています。また、自殺という重大な結果にまでは至らなくても、日々の生活の中での行き詰まり感や閉塞感は、多くの人が実感されているのではないでしょうか。
こうした感覚は、一体何に起因しているのでしょうか。
「他人と関わる」ことの重要性
人には得意不得意や好みの違いがありますから、すべての人がコニュニケーション上手になる必要はありません。けれども、他人と「適度」に「適切」に関われることは、人が生物として生き伸びていく上で、大変重要な要素になります。例えば、原始時代の狩りの場面がそうでした。人は進化の過程で穀物や野菜だけでなく、カロリー(エネルギー)の高い肉や魚を食べるようになりました。そうした食べ物を手に入れるとき、動物は動き回りますから、一人で行うよりも仲間と協力して行う方が成功率が上がります。「僕が獲物を追い込むから、君は向こうで待ち伏せしてくれ」という協働体制です。そうして得られた成果を互いに分け合うことで、人は効率よく生き延びて来たのです。
このことは、高度に発展した現代社会でも同様です。利根中央病院で力を入れている「チーム医療」は分かりやすい例ですし、『一人は万人のために、万人は一人のために』という生協の理念も同様です。繰り返しになりますが、生きていく上で他人と適度にかつ適切に関わることは、大変重要なことなのです。コロナ禍は、こうした機会を奪ってしまいました。
「ものの見方」が変わるとき
もうひとつ、コロナ禍の負の影響は、ものの見方や考え方が変化する機会を奪ってしまったことです。人は行き詰まり感や閉塞感を抱いたとき、何とかそれを解決しようと試みます。けれでも、ひとりで自問自答していても、なかなか良い考えは思い浮かばないものです。そうしたときは、他人と会話をすることで、自分にはないものの見方や考え方に触れ、トンネルの出口へのヒントを見出すが出来ます。
また、他人と話をすることは、それ自体に自分の考えを整理する効果があります。心理学の有名な格言に『悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい』というものがあります。人間は、頭の中で整理された考えを話しているようで、じつはそうではありません。言葉や行動が先に出て、あとから「あぁ、自分はこう感じていたんだ、考えていたんだ」と、自らの考えに気付かされるのです(「自己覚知」といいます)。
行き詰まり感や閉塞感を乗り越えるためには、ましてや自殺という悲しい結果に至らないためには、他人と関わることの重要性が改めて浮き彫り立ってきます。コロナ過での自殺者の多くが、他人との関係が絶たれて孤立していたということも、いくつかの研究で明らかになっています。
おしゃべりは悩みやストレスの「吐き出し」
ところで皆さんは、悩みやストレスを感じたとき、誰かに「話を聞いてもらう」ことで楽になったという経験をお持ちではないでしょうか。おしゃべりには、悩みやストレスの吐き出しという素晴らしい効能があります。玄関先での他愛もない世間話も、お酒を酌み交わしながらの愚痴の言い合いも、昼食時にお弁当を広げながら同僚と交わす会話も、じつは「こころの健康」を守るための重要な機会なのでした。
こうした文化を少しでも補完しようと、インターネットを介してのSNSやZoom会議などさまざまな工夫がなされています。ツイッターでつぶやくのも悪くありません。けれども、ひとりで一言ポツリと呟いて終わるよりも、対面(リアル)で直接会って、身振り手振りを交えた言葉のキャッチボールを行うことに勝るものはありません。精神科の診療で行う精神療法には、こうした要素が多分に含まれているのですが、そのエッセンスは、皆さんの日常生活でも十分に活用いただけるものです。
「適応」という考え方
精神医学の世界には「適応」という考え方があります。“自分”と“周囲の状況”をうまく擦り合わせて、バランスのいい所を探りながら自分を生かしていくという考え方です。世の中のすべてを「自分の思い通りにしよう」と躍起になっても、100点満点の満足を得るのは至難の業です。一方、他人の意見や周囲の状況に「自分を合わせよう」と頑張り過ぎても、疲れ果ててしまうばかりです。自分と周囲の状況を“適度なところ”でバランスさせて、 いい意味での“60点主義”をイメージしながら、「今は、まぁこれくらいでよしとするか」「この辺で折り合いをつけておくか」という感覚は、こころの健康を守る上での重要な考え方になります。
新型コロナウイルス感染症と戦うのではなく、適度に付き合っていく……そんな「適応」の在り方を、私たちは試されているのかもしれません。